二神大輝のブログ

考えたこと、本の紹介・感想、旅行記、哲学脳の整理、趣味の写真など。飾らず、人間くさくいこう

施しの享受が日常化した「人」の未来への危惧

エモいタイトルをつけてみたけど、要は

「やってもらえることを当たり前だと思っちゃいかんぞ!」

って話ね。

 

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主語を大きくするのは好きではないのだけど、

日本は特にその傾向が強いよね。特にサービス業はさ。

 

 

 

このあいだ、飲食店で店員をどやすお客さんを見かけたのだけど、わかりやすい例だ。

お金払っているから偉いわけではないよ。商品を提供する側と、受け取る側がいて、チップ文化のない日本では、提供の中に気遣いとか心配りみたいなのが無償で含まれる(企業としては料金に含んでいるところもあるのかな、サービス料として)。

 

それを当たり前だと思って、「何様だ!」とか言っちゃうの、思っちゃうの、恥ずかしいなあ

 

だって友だちにそんなこと言わないじゃん?そのへんに歩いている人にそんなこと言わないじゃん??

 

年齢とか立場とか関係とか、カテゴライズする括りはあれど、本質的に人は平等だと思っているからさ、なんていうか、やってもらえるのが当たり前モードの頭で、そういった環境にいるだけで、攻撃的になってしまう人には「まあ落ち着けよ」って、コーヒーの一杯でも飲ませて、冷静に自分を省みるよう伝えたい笑

 

 

 

 

 

あと、話が少し変わるけど、人にやってもらうと対価が発生する

 

みんながみんな、自分で出来るなら

◆美味しい料理をだす飲食店も

◆勉強を教える塾も

◆体型を維持するためのトレーニングジムも

必要ないわけだから

 

 

もちろん専門的な領域とかで、時間や労力をお金で買うためにアウトソーシングするのは大アリだと思う!

 

 

でも、まずは自分で出来ないか考えてみる過程を頭の中に持つか持たないかは大きな違いじゃないかな?

 

 

 

 

 

 

そして、大人になるというのは、

人から何かを受け取る「Taker」ではなく、

人に何かを与える「Giver」になること、が一つの要素としてあると思う。

 

 

 

人のために何かをするベースでいられたら、

 

飲食店で忙しそうな店員をみて「今日は人が多いから大変そうだな。一言声をかけよう」とか、

 

友達が疲れているのをみて「こっそりレッドブル差し入れしてあげよう」とか、

 

そういう優しい方向でものごとを考えられるようになると思う。

 

 

 

 

人間は生来、失うことを恐れるから、

たとえそれが時間でも、ものでも、機会でも、自分が損をしないように行動してしまうことがあるよね。

 

でも、0から生まれた自分たちも、何をどれほど手に入れても、失っても、最終的には0に戻ってしまうわけだから、何を手に入れるかより、何を残せるかを大切にしたいなと

 

 

そう考えると、いつもより少しだけ、人に優しくできると思うんだ。